愛真高校 教員の在り方 ー 生活をともにする働き方

愛真で教員として働くということは、ふつうの「就職」や「転職」とは少し違います。

ここは、島根県江津市の山の中腹にある、全校生徒45人の全寮制高校です。教員たちも、寮の隣にある教員宿舎で暮らしています。授業をして、終わったら帰るというドライな関わり方は、良くも悪くもできません。

これは、「暮らしをともにする」という、ハードルの高い条件です。けれど、だからこそ大人数の管理教育の中では実現できない、密な関係性があります。

自分自身も、ここで育てられる

愛真で働く教員たちは、教育を「一方的に教えるもの」とは捉えていません。通いの学校であれば、先生と生徒の関係は、授業と部活とクラス担任という枠のなかでほとんど完結します。けれど愛真では、先生も生徒と同じ場所で寝起きし、一緒にご飯をつくり、畑に出て、他愛もない話をします。だから、自分のいいところも足りないところも生徒に知られているし、生徒のことも丸ごと知っています。教師と生徒という関係の上に、一対一の人間と人間としての関係が重なっています。ここで働くとは、誰かの先生になることである以上に、この共同体で生きる一人の人間になることです。

成績ではなく、日々の暮らしのなかで、一人ひとりの「価値」を実感する。生徒を育てているつもりが、気づけば自分が育てられている。生徒との関わりあいの中で自分の弱さに気づかされる。愛真は、教員にとっても「学び」の場なんだと思います。

教員も職員も、生活すべてが問われます。というか、生活すべてが、生徒たちにとっては学びです。だから、ここに一緒に暮らすということは、自分のあり方そのものを、改めて問い直すことができる場でもある。生徒を育てたいという思いはもちろん強い。でも結果的に、ここにいることで自分自身が育てられている。僕自身、ここで育てられてきたと思います。

栗栖 達郎(校長・理科)

ずっとここに居続けている理由は、自分がいろんなことで、学び続けさせてもらっているからだと思います。勉強ができる人が、人間として素晴らしいわけではない。人間一人ひとりの価値みたいなものを感じさせてもらって、自分自身の人間としての成長が与えられている。

矢上 俊彦(教頭・国語科)

自分のいいところも悪いところも生徒たちが知っているし、自分も生徒のいいところも足りないところも知っている。それをひっくるめて、一緒に学んだり、遊んだり、働いたりできる。教師と生徒という関係の上に、一対一の人間と人間としての関係が含まれている。そこがいいところだと思います。

正田 満(社会科・卒業生)

日々、学びだなと思っています。生徒と一緒にここで過ごしていくことが、自分自身の学びになる。一番の学びは、生徒と一緒に散歩したり、休みの日にふらふら遊んだり、給食のときに語り合ったり――そういう、同じ時を過ごせたなと思える瞬間です。

野間 菜月(養護教諭・卒業生)

大人になっても、いろんなことを教えてもらえる場所だなと思います。生徒と全然対等で、むしろ、生徒から教えてもらうことのほうが多いかもしれません。

市森 倫子(家庭科・卒業生)

僕自身、教員という立場で上から教えてやろう、ではなくて。一人の人間として、いま正直どう思ってるの?というのを、ものすごくよく聞くんです。受け止めたうえで、自分から出てくる言葉を返す。ただ、それをひたすらやっています。

新江 進(理科)

「暮らしをともにする」という、ハードルの高さ

生活と仕事の境目がないこの働き方は、誰にでも合うものではありません。

プライベートと仕事をきっちり分けたい人には、たぶん向きません。疲れることもあるし、もう無理だと思うこともある。実際に、ここを離れていく先生もいて、それは学校としての課題です。私たちはその事実も受け止めて、働き続けやすい仕組みを探しています。それでも、ここで働き続けている先生たちは、生活と仕事が地続きであることを、辛さよりも喜びとして受け止めています。

これは本当に人によると思います。プライベートと仕事をはっきり分けたい、という人は、たぶん耐えられない。表情も、隠そうとしても出てしまうし。でも、大きな学校で授業をしていたときのほうが、むしろ緊張していました。ここに来てから、自分を追い込んでいたものが、少しずつ取れてきた。いまのほうが、自然体で生徒と関われている。むしろ、こっちのほうが良くないですかね、と思うんです。

正田 満(社会科・卒業生)

生活と仕事を分けたい、という人もいますよね。私も、疲れることはもちろんあるし、もう無理だ、やめたいと思ったこともあります。でも私には、毎日の暮らしのなかで生徒と一緒に生きられるということが、幸せなんです。本当に、生徒から喜びをもらっている、という感覚が強い。

市森 倫子(家庭科・卒業生)

ここでしかできない教育がある

愛真の根っこには、「人は何のために生きるのか」という問いがあります。これは、思春期から青年期にかけて、誰のなかにも自然に出てくる問いです。それを忙しさや娯楽でまぎらわせるのではなく、正面から考える姿勢が環境となった場所が、愛真です。

学問だけでなく、生活も、自然も、ぜんぶ含めて自分と向き合う。私たちはこれを「全人教育」と呼んでいます。そしてここでは、一人の生徒が自分の人生を引き受けて、「こんな自分でもいい」と思えるようになる、その場面に立ち会うことがあります。教員にとって、これ以上の手応えはありません。

僕は中学時代、いい成績を取ることだけが自分の価値だと思っていて、なんで生きてるのか、よく分からなくなった。でも高校で、いろんな出会いがあって、人間らしさを取り戻していく経験をしたんです。教育って、こんな光があるんだと思って。それで、この仕事に関わりたいと思うようになりました。卒業のとき、ある生徒がこう言ったんです。『私はそれまで、自分を否定しながら開き直っていた。こんな自分だから仕方ない、って。でも今の私は、自分を肯定しながら開き直っている。こんな自分でもいい、って』。その瞬間に立ち合えたことは、本当に、教育をやっていてよかったと思える。めちゃくちゃ泣きました。

新江 進(理科)

ここは、学びの場であり、生活の場であり、祈りの場でもある。その3つが、本当に豊かに交わっている場所だと思うんです。だからこそ、ここで働いてくださる方が起こされることを、心から望んでいます。

栗栖 達郎(校長・理科)

愛真高校では教職員を募集中です。

ここまで読んで、少しでも気持ちが動いた方は、ぜひ一度、愛真にお越しください。